AMA 青山ミュージックアソシエイツ|TOPページ

Flashが表示されない場合はFlashPlayerをインストールしてください

インフォメーション

営業時間のご案内

  

株式会社AOYAMA・MUSIC・ASSOCIATES  

〒106-0032
東京都港区六本木5-18-21ファイブプラザ4F-A
TEL:03-6426-5781
FAX:03-6426-5751

業務案内

AMAが手掛けるアーチスト、スポーツ選手とプロジェクトです。

AMAが手掛けたアーチスト、スポーツ選手、キャラクター、プロジェクトはこちらへ


サラ・ブライトマン SARAH BRIGHTMAN

サラ・ブライトマン SARAH BRIGHTMAN(ソプラノ/イギリス)
イギリス、ロンドンの北に位置するハートフォードシャー州バーカムステッド出身。3歳でバレエを始めた。11歳のとき、親元を離れ、全寮制のパフォーミングアーツスクールに入学。サラのバレエと演技の突出した能力と美しい声に注目した学校の勧めでミュージカルのオーディションを受け、13歳でデビュー。その後、アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカル「キャッツ」にジェミマ役で出演し、ロイド・ウェバーと知り合う。1986年、ロイド・ウェバーの最高作といわれる「オペラ座の怪人」の主役、クリスティーンのオリジナルキャストとして大成功を収め、ミュージカルスターとして確固たる地位を築いた。数々のミュージカルのトップスターの座を経て、エニグマの創始者フランク・ピーターソンとの運命的出会いにより更なる才能が開花。ピーターソンのプロデュースにより、1995年、「ア・クエスチョン・オブ・オナー」がヨーロッパで大ヒット。翌年、イタリアの人気テノール歌手アンドレア・ボチェッリとのデュエット曲「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」)が世界的大ヒットとなり、続き、『エデン』(1999)ではポップスとクラシックの華麗なる融合を果たし、「クラシカル・クロスオーヴァー」という新ジャンルを生み出した。 2000年発表の「月」をコンセプトに独特の素晴らしく美しい音世界を描いた『ラ・ルーナ』は、世界各国で多くのプラチナ・ディスクとゴールド・ディスクに輝く大ヒットアルバムとなり、日本では発売後瞬く間にゴールド・ディスクを獲得。
2000〜2001年の「ラ・ルーナ・ワールド・ツアー」では、その類まれな美しい歌声と、彼女の美意識の結晶ともいえるステージ構成で世界の人々をとりこにし、2001年4月に東京と大阪で行われた日本公演は完売。2001年発売の『アヴェ・マリア?サラ・ブライトマン・クラシックス』は、日本のクラシック史上記録に残る30万枚を突破。CMでおなじみの「私を泣かせてください」、「アヴェ・マリア」もこのアルバムに収録されている。2002年からテレビ朝日「ニュースステーション」のテーマソングを歌い、世界一美しいといわれるシルキーヴォイスを披露。 2003年、待望の新作『ハレム』を発表。2004年に、北米を皮切りに『ハレム』ワールドツアーを行ない世界で80万を超える観客を動員。日本公演は、武道館、名古屋レインボーホール、大阪城ホール、札幌真駒内アイスアリーナで行い、いずれも即日完売。 2005年4月、愛知万博開幕記念コンサートのため来日。東儀秀樹、チェンミンをゲストに迎えた「サラ・ブライトマン&アジアン・フレンズ」コンサートは、万博ドームを皮切りに全国で7公演を実施。チケットはすべて即日完売。サラの場合、彼女自身がコンセプト、ヴィジュアルなどの全てをジャッジする高いセルフ・ブロデュース能力を持つ。さらに、10年以上パートナーシップを組んでいるプロデューサーはエニグマを成功させたフランク・ピーターソン。この二人のコラボレーションはまさに最強のタッグ・チームと言える。
 
  CD・DVD発売元: EMI MUSIC JAPAN
公式サイト(英語):http://www.sarah-brightman.com/

ペレ Pele

ペレ Pele(サッカーFW/現役期間:1956-1977/ブラジル)
本名: EDSON ARANTES DO NASCIMENTO.

1940年10月23日、ブラジル、ミナス・ジェライス州の村に生まれる。
1956年、サントスFCに入団。15歳で初出場した試合で6得点を挙げ7-1でサントスを勝利に導いた。
ブラジル代表:16歳でブラジル代表。翌年1958年、W杯スエーデン大会に出場。スター選手に代わり17歳の少年が代表となり、ブラジル国民の大半が協会に抗議した。対ロシア戦で初登場。無名の17歳の少年は、スエーデン大会が終わったとき、世界のペレになっていた。
 W杯に4回出場し、ブラジルに3回の優勝をもたらした。

=58年スエーデン大会(優勝)
=62年チリ大会(優勝)
=66年英国大会、
=70年メキシコ大会(優勝)。

KING OF SOCCER〔サッカーの王様〕の称号は、フランスのマスコミが名づけた。 1974年、サントスを退団。サッカーの新天地、米国のNASL(North American Soccer League) ニューヨーク・コスモスに入団。アメリカで3シーズン活躍。
1977年、現役引退。引退試合を大好きな日本でも開催。生涯試合数1,363、ゴール数1,283 (1試合につき約1ゴール)はサッカー史上最高の記録。ペレのゴール数は野球のホームラン数に例えると2,000本に匹敵。因みにホームランの世界記録は、王貞冶868本、ハンク・アーロン 755本。タイトル/受賞
1978 国際平和賞
1987 20世紀最高のスポーツマン賞 (フランス・レキプ紙主宰・リスト添付)
1987 FIFA「フェアプレイ」アンバサダー
1992 国連親善大使(環境、生態環境)
1995 ユネスコ親善大使(親善試合)
1995  ブラジル スポーツ大臣 (1998まで)
1998 英国ナイト称号(KBE)をエリザベス女王より受勲
1999 20世紀最高のアスリート(IOL国際オリンピック委員会主宰)
1999 ヒーローズ&アイコンズ賞(タイムマガジン主宰・20世紀を動かした100名)
1999 20世紀最高のスポーツマン賞 (ロイター主宰・世界のジャーナリストによる投票
1999 20世紀国際スポーツ賞 (リスト添付」
2000 20世紀最高のサッカー選手 (FIFA主宰)著書
1962 「I am Pele」, 1974 「Playing with Pele」, 1977 「My Life and Marvelous Games」,
1982 「Pele’s Football Training Program」
 

フォーエバー・タンゴ Luis Bravo's Forever Tango

フォーエバータンゴ Luis Bravo’s FOREVER TANGO(タンゴ舞台作品・アルゼンチン) 

アルゼンチンを代表する芸術「タンゴ」が社会的に大きな注目を集めた1999 年。ブロードウェーをはじめ世界各地で絶賛されたタンゴ・ショー《フォーエバー・タンゴ》は2月の青山劇場、5月のシアター・コクーンとそれに続く日本ツアーで大喝采を浴び、タンゴ・ブームの火付け役として、強烈な印象を残しました。
この《フォーエバー・タンゴ》は世界的なチェロ奏者でもある演出家、ルイス・ブラボ氏の創作・演出によるダンス作品で、1994"96年にサンフランシスコのシアター・オン・ザ・スクェア(Theatre on the Square)で92週間のロングランを達成。その後アメリカ、カナダはもちろんヨーロッパでツアーを行い、1997年6月19日からはショービジネスの本場ブロードウェーのウォルター・カー劇場(Walter Kerr Theatre)、そして1998年4月15日からはマーキス劇場(Marquis Theatre)にて上演され、史上初めてブロードウェーでロングランを記録したタンゴ・ショーです。公演を行った各地では絶賛をもって迎えられ、ニューヨーク・タイムズ紙上で「タンゴの舞台作品として最も完成度の高い、必見の作品」と紹介されたほか、USAトゥディ、ニューヨーク・デイリー・ニュースなど多くのメディアで取り上げられました。さらに 1998年にはトニー賞(Tony Award)の「最優秀振付賞」にノミネート。またニューヨーク・ドラマ・デスク賞(New York Drama Desk Awards)では「最優秀新作ミュージカル賞」、「最優秀振付賞」、「最優秀衣装賞」、「最優秀オーケストラ賞」の4部門に、そして1998年度の外部評論家賞委員会(Other Critics Awards Committee)でも「最優秀振付賞」にノミネートされました。また、国際的にも1996年にイタリアのスポレト・アート・フェスティバル(Spoleto Arts Festival)にてシンパツィア賞(Simpatia Prize)を授賞するなど、数々の輝かしい実績を残しています。
かくして日本のファンからも来日実現を望む声が強く上がっておりましたが、その熱意が実り1999年2月、待望の初来日公演が実現。大好評を受けて5月には東京での再来日公演と全国6都市(横浜、甲府、名古屋、大阪、広島、福岡)をツアー、そして2000年と2001年にかけて5度の日本公演を行い、多くの人々を魅了してきました。
こうした世界中でのサクセス・ストーリーを引っさげて《フォーエバー・タンゴ》は1999年11月にはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ凱旋公演を果たします。実はアルゼンチンではこうした“海外で生まれたタンゴ・ショー”への風当たりは非常に強く、かの《タンゴ・アルヘンチーノ》ですら海外で受けたほどの評価を得ることができなかったほどです。しかし《フォーエバー・タンゴ》はそんなジンクスを覆し、南米を代表するオペラハウスとして知られるコロン劇場をうめた3,000人の観客から、劇場が割れんばかりの絶賛を受けたのです。
現在、この《フォーエバー・タンゴ》をきっかけに日本でもたくさんの新しいタンゴ・ファンが生まれています。中でもタンゴ・ダンスも興味をもつ若い世代のファンは急激に増加し、各地でのダンス教室がどんどん増えているという状況です。まさに「タンゴ」はおしゃれな人々が日常的にたしなむアートとして認知されつつあるといえるでしょう。
2001年3月には、人気ヴァイオリニスト、葉加瀬太郎をゲストに迎え、《フォーエバー・タンゴ・オーケストラ with 葉加瀬太郎 タンゴ・ノスタルジア・ツアー》を全国6ヶ所で7公演実施、また同じ組み合わせによるアルバム《タンゴ・ノスタルジア》を東芝EMIからリリースし、いずれも大好評を博しています。

DVD発売元:ジェネオンエンタテインメント(旧パイオニア)
英語版サイト http://www.forevertango.us/

デジタル掛軸 DIGITAL KAKEJIKU

デジタル掛軸 DIGITAL KAKEJIKU      

ティム・ジャニス TIM JANIS

ティム・ジャニス TIM JANIS          

ラッセル・ワトソン RUSSELL WATSON

ラッセル・ワトソン RUSSELL WATSON(ヴォーカリスト/イギリス)
クラシックからロック、ポップス、ジャズ・スタンダードまで、七色のゴールデンヴォイスで自在に歌いこなす天才ヴォーカリスト。全世界で500万枚のアルバム売上をもつ、英国が生んだスーパー・ヴォーカリスト。飾らない性格から、本国英国では「国民のテノール」(People's Tenor) と呼ばれている。故ダイアナ妃が「国民のプリンセス」(People's Princess)と呼ばれていたように、この称号は英国民に愛されていることを象徴しているようである。各国のセレブにも愛され、エリザベス女王、ブッシュ大統領、ローマ法王ブルネイ国王など各国元首の前でも演奏。2006年には東京で開催されたチャリティ・ディナーショーに出演。天皇皇后両陛下がご観覧されたショーの後、ラッセルは両陛下のテーブルでディナーを共にする栄誉に授かった。
 ラッセルはイギリスのマンチェスター近郊に生まれ育った。16 歳から、働きながら地元のパブでポップスやロックを歌っていた。ある日、ラッセルの声に注目した客からクラシックを歌うことを勧められ、チャリティー・ショーでオペラのアリアを歌った。たまたまこれを聴いた地元の名門サッカークラブ、マンチェスター・ユナイテッド(MU)の監督の要請で、MUの公式試合でトゥーランドットの《誰も寝てはならぬ》を歌い、9万人の大喝采を浴びた。以来、ラグビー世界選手権、サッカーEURO 2000など、メジャーなスポーツ大会に招かれて黄金の歌声を披露している。 2000年9月発売のデビュー・アルバム《ザ・ヴォイス》は、全英と全米のクラシック・チャートで同時に1位、さらにUK総合チャートでも5位にランクイン。その後発売したアルバムはすべてイギリスの総合アルバムチャートでトップ10入りを果たし、自国だけでなく、オーストラリア、カナダ、アメリカなど全世界でゴールド、プラチナディスクを獲得している。2001年には国連(WAFUNAIF)親善大使に任命された。 2006年秋、米国でアルバムのレコーディング中に重病(脳腫瘍)で倒れたが、大手術後6ヶ月で奇跡の復帰を果たした。そのアルバム・タイトルは「That's Life」。フランク・シナトラ、ナット・キング・コールなど往年の大スターがレコーディングをしたハリウッドの伝説的なスタジオ、キャピトル・スタジオで収録された。レコーディングは、現在主流のパート別ではなく、当時のスタイルにならい、オーケストラと歌手が一堂に会して行われ、ラッセルは、ここでもジャズ・スタンダードを軽々と歌い上げて本場米国のミュージシャンたちを驚かせた。
日本での活動:
2004年4月     
初来日 東京オーチャードホールで2日間の公演を行う。
筑紫哲也NEWS23に出演。筑紫氏の希望でアカペラも披露。
2005年5月     
東京オペラシティで2日間の公演を行う。
テレビ朝日「題名のない音楽会」にソロ出演。
浦和レッズ公式戦ハーフタイムショーに出演。於:埼玉スタジアム
12月     
大阪初公演。フェスティバル・ホールでクリスマス・コンサートを行う。
2006年5月   
 東京オーチャードホール、東京国際フォーラムホールC、兵庫県芸術文化センターで公演を行う。
「Save The Children チャリティー・ディナー・ショー」に出演。於:帝国ホテル.
2007年8月   
 東京国際フォーラムホールAと大阪フェスティバルホールで復帰後初の公演を行う。
特別ゲスト:和央ようか
9月     「20周年記念JAL金閣寺音舞台」に出演。MBS/TBS系で全国に放送された。
他の出演者: 観世清和(観世流家元)、加古隆(ピアノ)、古澤巌(バイオリン)
 
CD・DVD発売元: ユニバーサルミュージック
英語版公式サイト http://www.russell-watson.com/